【追悼】ニキ・ラウダ-永遠なるカリスマに捧げる
2019年5月21日。モータースポーツ・ファンに衝撃的なニュースが世界を駆け巡りました。
実は遠い昔はF1大好き、ラウダやハントに憧れてカート小僧へと進んだ私。結局膨大な時間とお金を費やしたも一勝も出来なかった挙げ句に引退した口です。そんな私が彼を語るなんざ身の程知らずも甚だしいのは承知ですが、少年時代、乗り物酔いが酷くて修学旅行にも行けなかった自身を顧みる暇もなく「走ること」に夢中にさせた第一人者の死に、哀悼の意を込めて今回は綴らせて頂きたいと思います。
「やっぱりニキは並のチャンピオンではない」
ホンダの顧問でもあった故・中村良夫氏が出版した本の中、彼はこう紹介されました。
タイトルを獲るだけでも大変なのに、それを2度成し遂げた後引退し、しかもカムバックしてから再びタイトルに返り咲くなんて、それこそ彼にしか出来なかった事。一度引退したプロストが復帰後1勝もできず、あのホンダさえ未だに勝ち星が無い事を思うと、F1がいかに過酷な世界で、同時にラウダの成し遂げた事がいかに偉大かが伺えます。
そしてポール・ポジションに拘らず、年間タイトルを獲る事を最優先に見据えた彼のシーズンを通じての走りにプロストは学び、後に4度のタイトルを獲得しますが、ラウダ自身は著書の中で、デビュー当時チームメイトで、「スーパースェード」の異名を持つロニー・ピーターソンから走りを学んだとの事。マシンに大きな差があって常に3秒自分より速く走っていた彼を一度だけ、腕で抜き去った事が大きな自信となり、かの有名な「生命保険を担保に銀行から融資」へとなります。既に相当な自身を持っていた様で、
銀行「では君が死なないとお金は回収できないという事かね?」
ラウダ「大丈夫。その時には僕はチャンピオンになっていますよ」
‥本当になっているから怖いです。
まだ「葉巻型」と呼ばれたF1に翼が生え始めたばかりの頃、頭を使ってマシンを仕上げることをいち早く察知し、「コンピュータ」と言われたその走りは、ミスをして優勝を逃した時に「ラウダも時にはミスをする」、84年のタイトルシーズンでは、大きな口を開けた写真とともに「そりゃラウダだってアクビくらいしますよ」の記事。
速いのみならず、メカにも非常に興味をもって、レーシングカーの構造を熟知していた事。F1ドライバー自らがF1について書いた書籍を、ラウダ以外に知りません。
その圧倒的ともいえるカリスマ性と併せて、メディアを通じて私が感じたのは、以外?ともいえる「人間臭さ」彼なりの、彼にしか言えないユーモアを交えた言葉で周りの人の笑いを誘っていた事が印象的です。
お気に入りを幾つか
■70年台後半にフェラーリ312Tで2度のタイトルを獲った事に際し、「当時のフェラーリは他のマシンより25馬力はパワーで上回っていたのでは?」という問いに対し
「本当に25馬力あったら、片手で運転して勝ってたよ」
■ 「もしドライバー全員がプロストだったら、良いレースになるだろう、全員がセナだったら、1周しない内に全員クラッシュするだろう。全員がマンセルだったら、レースをやめてゴルフに行くだろう」
■(映画「Rush」上演のプロモーションの為に来日した際、ハントのプレイボーイ振りが描かれている事に対して実際はどうだったのか?というメディアの問いに)
「あんなもんじゃないさ、実際はもっと凄かったよ」
ハントについて「あいつは滅茶苦茶で自分と正反対だったから逆に気が合った」
著書の中では体調管理には徹底して気を使い「ロウソクに両側から火をつける様な真似はしない」と、酒もタバコも一切やらなかったラウダが、「Rush」の公式パンフレットの中では、「人生を楽しみたい」ハントの影響か、一転してヘビー・スモーカーに。30歳年下の女性と結婚し、60歳で双子のパパに!
現役時代、不思議と日本には縁がなく、F1で日本を走ったのは76年の2周だけ。鈴鹿でF1が始まったのは2度めの引退をした翌々年。
彼に憧れ、16歳でカートを始めた私。ヘルメットもウェアもカートも全て赤で統一。セットアップでマシンが速くなる事までは分かりましたが、そこから先は闇のまま、十数年後にやっと引退を決めました。実はいつの日かまた戻ってくるつもりで、彼のヘルメットの完全レプリカまで特注で作っています。(カート屋に置いたまま‥もうお店には無いとは思うが)
私のベスト・レース 1984年ポルトガル最終戦。10番手スタートのラウダが2位に入り、優勝したプロストを0.5ポイント差(現在でも最小得点差)で抑えてタイトルを獲得。シチュエーション上当たり前とはいえ、あのセナがラウダに「無抵抗」で抜かれるのが印象的。
彼に近い人たち曰く「残酷なまでに正直」今回の訃報で見つけた彼の言葉です
(以下全文引用)
ーー速く走るためには何が必要なんでしょう?
ラウダ:「それは才能だ。まず才能があること。クルマの運転で最も重要なことは、ケツと脳ミソがいかに素早くリンクできるかということなんだ。レーシングカーを運転しているときは、クルマの動きを出来るだけ早くケツで感じとって、脳ミソで素早く動きを修正して、速く走らせるんだ。速い運転が出来るってことはそういうこと。これがもっとも大切。才能がないんだったら、家に帰っておとなしくしていた方がいい」
(以上)
「ケツで感じる」は実は僕も「Rush」を観てて初めて知った言葉。
‥この言葉。もっと早く言ってくれたら、「彼が言うなら仕方ない」と、もっと早く諦めて引退してたかも。(苦笑)
特筆すべきは、、最晩年に至るまで、F1になくてはならない存在で在り続けた事ではないでしょうか。メルセデス役員だけでなく、現役ドライバーからも厚く信頼されていた様。
最後に
「私は幻をもったことはありません。充分な想像力をもっていないからです。私の夢と野心はいつも次の段階ということに集中していました。あらゆるゴール、あらゆるチャレンジは、一歩前進ということでした。20歳の時に、私はいつかワールド・チャンピオンになるのだと宣言する気など全然ありませんでした。幻影を追いませんから、従って失望することもありません。」 実際、これだけネットで映像や画像が氾濫している中でも、彼の悲観的な表情というのを未だに見ません。
この言葉を今の我が身にしっかりと刻んで、「今」を生きて行きたいと思います。
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